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Posted by ミリタリーブログ at

2021年11月25日

サバゲとコミュニティとSNS

先週の「86」の配信が無かったので意気消沈したまま一週間を過ごしている今日この頃、試しに見てみた「無職転生」が思いのほか面白かったソラノカケラです。みなさまどうお過ごしでしょうか?

装備更新や写真を撮っていないので、今回も文章ばかりのきじになりますが、なんか自分が思ったことを言語化するていうのは一種のストレス対処法なのかなと最近思うようになりました。また文章化して自分に見せて戒めにしている部分もありますが。なんせ自分の理想を文章化している部分も多分にあると思いますので、実際に今の自分がそれ出来ているかはわかりません。
まあ相変わらず僕の思っていることをつらつら書いているだけなので、読んでいただいている皆さんはあんまりおもしろくないとは思いますが。でも読んでいただけることに対しては本当に感謝しています。

さてさて、サバゲって改めて考えるとどんな遊びなのか?凄い単純に考えれば「銃を模倣した玩具で撃ち合って、撃たれれば負け」と言ったところでしょうか?この基本ベースに各々が好きな事を付け足していって形になったものが現在のサバゲーなのかなーと思います。

昔は(と言っても詳しくないですけど)正しい表現かわかりませんが「大人の戦争ごっこ」であって、多分今よりは多様化されていなかったのではないかなーと思います。コミュニティーも現在よりも閉鎖的で情報を得る媒体は雑誌やエアガンショップ等に絞られていたのだと思います。

過去と比べれば現在は「戦争ごっこ」の枠から外れたものも多く出てきてスタイルは多様化していますし、情報を得る媒体も増えました。なんなら情報発信すら個人単位で簡単に行えるようになり、一昔前はサバゲ始めるならまずはチームを探してコンタクトをとって基本は自分で装備は全部揃えてみたいな手間が無く、フィールドに行って手ぶらでもサバゲが出来る環境があり、そういう意味で敷居が下がって始めやすくなった。僕が本格的に始めた10数年前はここまで便利な状況ではなかったものの、敷居はかなり下がってきた時期であり、この状態にならなければ僕もここまで本格的に初めていたか、今の状態になっていたかは微妙です。

僕はサバゲをやりたくてやりたくて仕方なかったんですけど、静岡にはまだまともなフィールドはなく、どこかのチームに入らないと出来ないみたいな状態だったんですよ。ネットで見つけた体験もできますよというチームがあったので連絡を取り、二回ほど一緒に遊ばさせてもらったのですが、まあちょっとチームの本拠地と距離があったのと、そのすぐ後に焼津港にフィールドが出来たのでそっちに通いだし、本格的にサバゲを始めたという経緯があります。

これ焼津のフィールドが出来るのがもう少し遅かったり、このチームにもし所属していたりしたら、また今の自分は無かったのだろうと思います。逆に今の自分の環境には大変満足しているので、チームとかに入らなくてよかったなと思います。

焼津のフィールドに通う中で、とてもよくしてくれるチームがいくつかあり、チームに入るみたいなチャンスが無かったわけではないのですがチームに入らなくてもサバゲが出来る環境であること、当時は土日仕事で入ったとしてまともに活動出来ない事、あとはまあ20代後半の僕は「ソロプレイヤーでいる自分」という中二的自意識があった節があるので、その辺積極的になる事は無かったです。

今でもその方々には感謝しています。色々な事教えてもらいましたし、スキルアップという意味でもかなり鍛えられました。あとはやはりいい人が多かったので続けられたというのはおおきかったですよ。これ変な人たちと出会ってしまったらサバゲ嫌になってやめているか、周りから嫌がられるプレイヤーになっていたかどっちかになってしまう可能性が大きかったと思うので。無論ならなかった可能性もありますが、最初に接してくれた人はその後に大きな影響があると思います。

何に影響を受けたかという外的な部分と、それを受けて自分がどうなっていきたいかという内的なところがあって、特に内的なところでやりたい事や目標を定めていく訳ですが、前に記事で書いたことにつながるんですけど、どこまでやったら自分が楽しいか、満足できるか。それをどこまで突き詰められるかという問題です。

この基準って人それぞれなので、本人がよければそれでいいが基本的には正しいと思うんですけど、自分の基準で人を見てしまますとよくないんでしょうけど、自分のコミュニティやテリトリーに入ってきて「どや!」されると自分の判断基準でしかその人を見れないから自分基準で良い悪いを判断するしかなく、その判断基準が本人と他人の中でズレると、それを表に出すと争いの火種になると思います。

SNSがここまで発達する前であれば不特定多数の人の目に触れることが無かった、もしくは極端に少なかったので、価値観や判断基準は自分か属しているコミュニティに限定され、外の目から判断されることもほぼなかったと思うの、言い方悪いですけどお山の大将も簡単にできたわけですが、現在SNSを使えば基本は自分や属しているコミュニティ以外の価値観の目にさらされるわけで、大多数の人が凄いと感じる事をしていれば羨望の眼差しを向けられるし、そうでない方が多いと思うので、賛否あるにしても批判や自分より劣っていると判断されるわけで、そこでまたその人が周りの判断についてどう向き合うかだと思うんですけど、よくも悪くもなりますよね。

無論、SNSでも言葉がすべてではないのですが、そこで情報発信をするとなると無視はできなくなるというわけで、まあ周りの嫌な意見は気にしないと割り切ってしまうのもいいですし、やたらめったら価値観合わない本人に向けて批判を投げるような事をしなければいいとだけの話ですが、まあ実際はそうもいかず。

でもSNS上で知らん人に直接喧嘩売りに行くような真似は良くないですよね。だからと言って思った事をまたく表に出さない聖人にはなれないし、せめて直接または具体的に誰とか何の事をいっているか入らないように言うのがいいと思っていますし、閉じたコミュニティィの中で発散するのが良いと思います。そんな綺麗な人にはなれないし、貯めすぎるのも不健康なんで。SNSで何でもかんでも垂れ流すのは僕は嫌いですというだけなんですけどね。

ちょっと話ズレましたが、どこまで行ったら「満足か」の中に「誰に認められたら」という要因もあると思います。まあ目標の一つですよね。個人なのか集団なの、認知だけされればいいのか仲間に入りたいのかはさておき、もし認めてもらいたいならその個人や集団の価値観や判断基準に合うものにしなくてはいけない訳ですね。そこを無視して認められるわけがなく、だからとっていきなり高いレベルになれる訳でもないと思うので、まずは価値観や判断基準を理解し、目指すべき場所を合わせていく必要があると思います。

例えばの話ですが、ゴリゴリの特殊部隊装備でなおかつ装備統一がされているチームがあったとして、そこに入りたい時に「今はここまでしかできませんが、皆さん追いつけるように頑張りたいと思います。」という人か「皆さんの装備あこがれていますが、僕は僕の特殊部隊装備をさせてください」という人だと、どこまで統一というかという問題は置いておいて、前者は今は無理でも同じ目標に道筋にのったという事になりますが、後者は装備統一というところからは外れてしまい、同じところにはたどり着けないと思うのです。

上はあくまで例えであって“こんなイメージです”という所なのですが、特になんの縛りもないサバゲチーム(ほとんどがこの感じだと思っていますが)であれば特に問題ないと思いますが、何かの装備に特化したチームとか、ゲームスタイルが特殊なチームとかそういう縛りみたいなものがあるチームやコミュニティに属したい場合は、そこのルールではないですけど目的や目標を共有できるようにする必要があると思います。それがどのくらい厳しいのか緩いのかはそれぞれだと思うのでわかりませんが。

まあでも、チームやコミュニティに入りたいと気って、自分と合うと思うから入りたいと思うわけで、合わないのに入りたいとは思わないですよね。

今度はSNS上でって話になりますが、こっちは趣味趣向、価値観が全然違う不特定多数の人が見るわけなので、同じサバゲが趣味という括りだけでは通用しなくなりますし、好き嫌い妬み嫉みの色々な感情が渦巻く世界だと思っていますので、ここで色々な方に認めてもらうのって結構大変だと思います。
まあどこにいても1000人いて全員に好かれるなんて無理な話なので、本当に一部の人に認めてもらえればそれだけで凄いと思います。

ただ、そのためには努力は必要だし、それなしで認めてもらう事は出来ないと思います。そして努力の方向性は自身で定めるものだとは思いますが、方向性が違うと「頑張ってるけどちょっと違うよね」ってなってしまうわけですね。ただまあ一人で頑張れるのであればそれも良いのしょうが、頼れる人がいるなら相談するのが一番いいですね。軌道修正も出来るし。

問題は1000人いたら999人に嫌われるパターン。かなり極端な例ですが、一定数の嫌いは当たり前とはいえ好きが嫌いを上回ってしまう人。これはその人自身に問題があるとしか思えないのですが、一定のコミュニティで通用するものが不特定多数の人の目にさらされるSNS上で通用するかという話です。

もちろん問題ない事の方が多いとは思いますが、身内ネタが多ければ多いほどその身内にはウケてもそれ以外の人には受け入れられないという事が多々あると思います。サバゲ趣味に限らず、人にどう見られているか、どう思われるかというのは気にした方が悪い事にはならないだろうと思っています。突っ込んでいってしまえば好かれる事より、嫌われない事の方が重要だと思っています。

ずっとそれを続けると「当たり障りない」になってしまうので、良いのか悪いのかわかんなくなりますが、自分に対して敵意を向けてくる人を多く作ってしまうのは本当に損しか生まないからです。現実でもSNS上でも敵が多くなれば多くなるほど身動きが取りにくくなりますし、そうでなければ極端に行動に制限が発生することもないと思います。逆に自分を認めてくれる人が多ければ多いほど行動の幅は広がっていきます。

本当にサバゲに限った話ではなく、なんにでも当てはまる話だと思いますが、基本このサバゲという趣味は一人で成立させることは難しく、一人でサバゲに行くにしても誰か相手がいるわけで、同じ価値観や目的を持った仲間が多い方が出来ることも楽しみも増えると思います。

人からの評価の話なので、どうにもならない事もありますが「自分が頑張ってるのに周りが…」となったら選択しは二つしかないと思います。自分の行動を見直すか、その集団から抜けるか。チームやコミュニティの話であれば、価値観合わないと思ったらサヨナラするだけでもすみますが、SNSじょうならそのSNSやめるしかないですよね。

SNSで賛同よりも批判が多い時や賛否がトントンの時って全てとまでは言いませんが、全体に発信者に問題があると思うんです。で、どこが悪かったのか振り返らないと同じ事繰り返すと思うのです。悪かったのが一部、例えば文章が誤解生むような書き方だったとか、言葉が悪かったとか、やってること自体が悪かったって事も有りますが、全く内容や文章に非が無いのに批判されまくる事があるとするともうそれはその人が嫌われているんだと思います。いや、違うかもしれないけど。

皆に好かれるは一部のカリスマ以外無理だとおもいますが、僕は自分の属しているコミュニティの中でくらいは嫌われないようにしたいと常々思っていまして、サバゲが一人で成立しない趣味だからというのももちろんあるんですけど、これ嫁に言われたんですけど「あなたはサバゲがしたかったんじゃなくて、サバゲを通じて同じ話が出来る友達が欲しかったんだよ」と。この言葉、半分は正解だったと思います。

仕事や家族以外で同じ話が出来る人って貴重だと思います。特に僕のようなSNS上でも人見知りするような人間には。学生時代の友人と呼べる人達は、疎遠になってしまい、何かきっかけでもない限り連絡取りにくくなっているか、価値観違いすぎて連絡取る気が起きないかのほぼどちらかで、学生の時からの友達って本当に少ないんですよ。サバゲを通じて出来た友人の方が今は本当に多いというか、サバゲ関係の友達しかいないと言っても過言ではない状態になってしまいました。

そういう意味でも僕は本当に話が合う人、友人ってとても貴重だしありがたい存在だと思っています。今のコミュニティに属して入れる事を幸せに感じます。この人たちがいるから僕は好きなサバゲが出来ていると言っても過言ではないでしょう。

サバゲは人ありきの趣味だと思っています。同時にすべての人と仲良くするなんてのも無理です(僕も正直、嫌いな人はいますし、僕の事嫌いな人も多いと思っています)でも、そこでバチバチやりあってもしょうがないし、そこはうまく付き合っていくしかないと思います。陰口が悪い事だとは正直思っていません(でも子供には悪い事だと教えます)そんな清廉潔白みたいには生きられない、ただノーガードで喧嘩吹っ掛けていくよりははるかにいいと思います。陰口はバレない見られないように言うから陰口であって、見られるように言うと意味ないんですけど、表面面は最低限の付き合いだったり、関りを持たないようにしたり、余計な敵対心を増やさない様な立ち回りはした方がいいと思っています。下手すると自分にだけ向くはずの敵意はコミュニティ全体に向く羽目になりかねないので、自分もそうだし、立ち振る舞いが集団に迷惑をかけるかもという事は常日頃から考えていくべきことだと強く思っている次第です。

あんまりサバゲの話と関係ない事ばかり今回は書いてしまったように感じますが、まあなんといいますか、総括すると自分が楽しく過ごせるために努力は必要だし、楽しく過ごせるコミュニティを守る努力も必要だよね」と言う感じでしょうか?違うかも。

時にはコミュニティやコンテンツを守るために戦う事も絶対に必要になると思います。このままだと本当にやべーことになりそうとか。でもその時どう戦うか、どう伝えるかは物凄い考えないといけないし、自分が出ていくと状態が悪化するかもと我慢することも重要というか、普通の人はここが一番重要だと思う。ちなみに僕は普通の人です。SNS上でのいざこざなんて正論だと思ってかかっていっても通用することなんてほぼないですから、基本無理に首突っ込む必要ないし事の方が多い。そう、自分なら事態を変えられる、言いくるめられるなんて幻想なんですよ。

最後にまた余計な話を書いてしまいました。今は何が正しくて何が間違っているのかが人それぞれで普遍的な価値観みたいなものが曖昧になってきていると思います。大多数の考えが絶対的に正しいという事もないでしょう。自分の正しさとかブレない芯みたいなものは絶対必要ですが、たまには自分の正しさを疑ってみたりすることも必要なのだと思いました。

今回も長文お付き合いいただきありがとうございました。

最後に一言、自分の非を認められる人は信用できる。  


Posted by ソラノカケラ at 21:25Comments(0)雑談